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スタジオジブリ鈴木敏夫さんのインタビュー。なかなか面白いです。「ハウルの動く城」でキムタクを起用した理由とか。

ジブリと言えばアフレコに本職の声優をあまり使わないことで知られていますが、その理由もふるっている。というか、本職の声優ってジブリに見くびられてんのね。見くびられる側にも原因はあるとは思うけど、いくらなんでもこれは、ちょっとプロの声優や役者を甘く見過ぎじゃないでしょうか。

声優、というか役者もだけど、表現のために訓練を重ねているはずなんですが、糸井重里さんや立花隆さんを起用するのには、その訓練の必要性を認めていないということになるんじゃないでしょうか。つまりジブリにおいて声とは素材でしかないというのですかね。

鈴木さんや宮崎駿監督はそれでいいでしょうけど、それを見て影響される若手スタッフにとって、良いことなのかどうかははなはだ疑問。そこまでフォローしているのかどうか。

建築の違いを引き合いにして、日本と欧米での、ものづくりの考え方の違いを解説しているのが白眉。まず全体像を作ってから細部を作り込むのが欧米。細部から積み上げて全体をかたどるのが日本。

これは文章の書き方にも言えることで、アメリカでは子供に作文の書き方を教えるのに、まず「目次をつくれ」と言うそうです。第1章○○、第2章□□というように大まかに、どこに何を書くかという順序・流れといった構成を作ってから、各章の文章を細かく書いていく、トップダウン形式、あるいはMS Wordでいうところのアウトラインを作るところから始めよ、と。ところが日本の国語教育では、「思ったことを書きなさい」と、構成なしでいきなり書き始めるよう教えるんですね。日本人の論文下手、あるいはスピーチ下手はここに原因があるという人もいます。

映画監督・北野武さんの映画の撮り方もこれに通じるのですが、この話はまたいずれ。

鈴木さんインタビューに戻ると、欧米における昨今の日本アニメ人気についても、質を評価しているのではなく、表現手法が自分たちと違うからびっくりしているだけ、と冷めた意見を述べているのも興味深いですね。

官能性についての話は、おいらのガンダムUCへの感想と、言いたいことは一緒な気がしました。そうか、官能性ということをおいらは言いたかったのか。

アニメーターについても、なんつーか見くびられてますねえ。「40人いて、できるのは2人くらい」なんて言ってますけど、それでいいのかな? アニメやマンガの行く末を案じていらっしゃいますけど、じゃあジブリはどうするつもりなのか。手取り足取り教えろとはいいませんが、後身を育てることは考えてるのか否か。

時間や空間を歪めるのが得意、というのは、富野監督もおっしゃってたな。というか、富野さんは「スターウォーズだってそうじゃん」と(笑)

さて、ジブリ作品というくくりでも、宮崎駿監督作品というくくりでもいいけど、おいらはいち視聴者として違和感を感じるんだよなあ。好きか嫌いかで言えば、う~ん・・・(しばし長考ののち)

大嫌い(わざわざ長考すんな)。

なんつーか、しつこいけど「なぜいつも年端のいかぬ少女ばかりクローズアップするのか(主役ということも含めて)」というところに行き着くし、うまく言えないけど、「自分の内なるものからしか作らない」印象があるんですよ。「答えはすべて自分の内側にある」、みたいな。

おいらにいわせれば、オカルトなんですよ。ジブリ&宮崎駿作品は。

トトロのおなかがへっこむ、のくだりもおもしろかった。作品のメッセージ性うんぬんより、まずは「動きの心地よさ」、つまり官能性ということらしいんだけど、これを読んでおいらが頭に浮かべたのが、iPhone。あのタッチパネルOSの感触というか、使ったときの動き・レスポンスの心地よさや楽しさの演出と相通じるものがあるのではないかと。ほかのスマートフォンやタッチパネルとの違いはそこだと思うんですが、なるほど、アニメーションもOSも、感性に訴えかける部分が評価の基準となっているということなんでしょう。