たまたま移動中に今日の「笑っていいとも」を見ていて、呆れるというか笑えないというか。

なんやらの編集部が登場して、マヤ歴だなんだと怪しげな話をしていったわけですが、もっとも首をひねったのが第一位の巨大隕石話。

「NASAの長官が巨大隕石の地球衝突について可能性を言及した」

そりゃそうだ。科学者であるならば、可能性というものをゼロと言うはずがない。ゼロではないということを、明日にでも巨大隕石がぶつかるようにすり替える論旨がお口あんぐりだ。

「巨大隕石がぶつかるとなれば、打つ手は無い」

当たり前だ。だがここにも「ぶつかるとなれば」の可能性がいかにも高いかのようなまやかしがある。可能性の高い低いの問題がどこかにすっ飛ばされて、影響力だけが言及されているのだ。

可能性がゼロで無ければ、0.0000001%でも99.999999%でも同じ事、という扱いになっているわけだ。その上で、いざそれが起こった場合の影響力の大きさだけを言っている。影響力の大きさを可能性の高さとすり替えているかのように思える。

これは「巨大地震など来るはずが無い」「津波が押し寄せるなんてあるはずがない」と思ってたのに実際は来た、ということとは明らかに違う。巨大地震や津波には、ある程度の備えが出来る。恐れを備えに変換することが出来るのだ。だが、巨大隕石が衝突したらあきらめるしか無い、というのなら、その恐れだけをことさらに煽ることに何の意味があるというのか。

カムカムミニキーナの舞台で、「今にも火星人が地球を攻めてくるかのように風説を流し、侵略に備えるために軍拡に邁進する」というものがあったが、それと大差ない話だ。地球に巨大隕石が衝突する可能性はゼロでは無い。だがそれに恐れを抱くことは、火星人の地球侵略を恐れるのと同じくらいナンセンスだとオイラは思う。