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でもって原作である小説の方に目を向けると、これ個人的には非常に興味深い、面白い構成になった!と感じました。えっ、構成?

その話は後で書くとして。

この作品、よくあるハーレムラブコメの変化球と見せかけて、実はアンチハーレムな作品だったように感じます。作中でも主人公が「ハーレムラブコメの主人公なんて、なれるものならなってみてえよ!」と叫ぶシーンがあり、そんな風に周囲の人間関係をハッピーにしたくても、できない葛藤を見せてます。

「友達が出来ない」主人公・羽瀬川小鷹の周囲に、やはり何らかの理由により友達が出来ない、6人の(なぜか)美少女(ばかり)が集まって、日々友達作りに奮闘するものの、この作品で言う「残念な」パーソナリティーが災いして、おかしな方向に話が転がるコメディであり、ゆる系日常青春もの、のように当初は描かれていました。

しかしながら作者は周到に伏線をひいており、単なるコメディでは無い青春ものとして、最新8巻のカタルシスに持っていく構成が見事。

まあちょっと、後付けじゃ無いの?と思わなくもない豪腕が見え隠れはしますが・・・
恐らく読者がいだくであろう、「彼ら彼女ら自身が友達じゃ無いの?」というツッコミがストーリー展開とシンクロし、8巻のラストに持っていったと。

で、僕が注目したのはそこじゃない。前置き長い!

アンチハーレムラブコメと言ってもラブコメの要素はあり、主人公・羽瀬川小鷹と、10年前は彼の親友であった少女・三日月夜空、そして2人が作った「隣人部」の3人目の新入部員である少女・柏崎星奈の、わかりやすい三角関係。

が、この作品、三角関係のバランスが著しく悪い。それすらも作者の狙いだったのかと、あとになって思うのですが・・・

三日月夜空は、小鷹との10年前の友人関係を復活すべく、きわめて個人的な理由で隣人部を立ち上げるのですが、彼女自身そっち方面の積極性に乏しいため進展は無く、一方で星奈をはじめとする他の部員たちが割り込んでくることで、いわゆる「フラグ」が立たない。
(余談ですが僕はこのフラグがどーたらいう概念が好みじゃ無い、それはまあさておき)

小鷹との10年ぶりの再開のときに、あっさり2人の関係についてばらしちゃえばこうはならなかったのに、というのはカンタンですが、そう上手くいかないのは人の世の常マンゴーチャツネ。

一方で、星奈はというと、小鷹と2人で出かけたりするわ、自分ちに招いたりするわ、みんなで街に出ても思わず2人きりになるシチュエーションが生まれるわ、あげく2人は親同士が決めた許嫁である事が発覚、しかも3歳くらいの頃に出会っていたという。作中でも「チート過ぎる」と表現されるフラグ満載のありさま。

夜空としては、小鷹と幼なじみであったというアドバンテージすら剥奪される、このフラグのアンバランス。

まあ、星奈というキャラクターがこの作品では圧倒的人気であることも含めて、ラブコメ的にはもはや周回遅ればりの差が付く始末。

正直僕としては、読んでるうちに、このバランスの悪さはなんなの、という思いもありました。

が、ほかならぬ星奈が小鷹にプロポーズしたことによるストーリー急展開、それによりこの作品のテーマすらガラリと転回し、先述のフラグがどうとかまでもが盛大にひっくり返った、と僕は思うのです。

そのキーポイントは、キャラクターの人間描写につきます。
柏崎星奈というキャラクター、どうにも葛藤というものが存在しないのです。

スポーツ万能で成績はぶっちぎりの学年1位、美人でスタイルも良く親は学園理事長で金持ち。性格は尊大かつ自信過剰ゆえに友達がいないのですが、そうなっても仕方がないほど「何もかも思い通り」なキャラクター。特筆すべきは、すべてにおいて自己肯定的なので、葛藤が無い。時に思い通りにならぬ事があっても、「まあいいわ」の一言で立ち直れる。「過去はどうでもいい、大事なのは今」 と言い切り、ゆえに済んだことは思い悩まない。コンプレックスのかけらも無い、葛藤など生まれるはずも無い。

先述のようにこの作品、ゆるゆる日常系コメディだと思っていたので、だったら星奈のような「キャラクター」には葛藤など不要。いうなればサンリオのキャラクターなどと同じく、かわいけりゃOK的な。誰がハローキティ御大に心の葛藤など求めますかってな。

しかーし、この作品、8巻ラストで大転換を迎える。

隣人部のジョーカー的存在だったキャラクター・志熊理科。彼女は腐女子的振る舞いで隣人部含め周囲を煙に巻いていましたが、実際は天才的頭脳の持ち主ゆえに周囲(とうか凡人)となじめない状況を、哀れむでも同情でも、あるいは排除でも無く「共感」として接してくれた小鷹によって、自ら「変わった」と実感させられた。そしてその恩返しとばかり、小鷹が特定個人との関係性が親密に近づくと、ある一線を引いてしまう、それは隣人部内の関係を壊してしまうから、という壁を壊した。ここに至って、小鷹は理科に「友達になってくれ」とつぶやく。

それは「僕は友達が少ない」という作品が、ゆる系日常コメディから、青春ドラマへと転換した瞬間。

単なるコメディじゃなくなったこの作品のシフトチェンジにより、葛藤の無い、すなわちドラマを内包しないキャラクターである星奈は、圧倒的に不利になった、僕はそう思えたのです。

「ドラマ」においては、葛藤の無い人物が中軸となることは難しい。無いといってもいい。刑事ドラマで言えばお茶くみのおねいちゃん。

でもって一方、夜空はというと、こちらはもう内面に真っ黒な闇を抱え込んだ、葛藤の純粋培養のようなキャラクター。小鷹との関係性のみが行動原則であったような(多少の変化は見られますが)彼女のほうが、「青春ドラマ」と化した「はがない」において、ヒロインたる資質を獲得したように感じられます。夜空の個人的背景、たとえば家族とか生いたちとか、がこれまであまりフォーカスされていないことも、これから描かれるの?作者の意図だったの?とさえ見えてきました。

これはもう、もはや挽回が必要なのは星奈のほうでは無いか。もちろん、この先の展開でどうなるかはわからないので、次巻9巻はそこに注目したいなと思っている次第なのであるいんこテレビショッピング。