あちこちで、「便利になった世の中の弊害」みたいなことがよく語られる。

が、個人的には「だから何が問題だと言っているの?」という気分だ。

世の中が便利になったことで失われたものが、世の中を不便に戻せば取り戻せるとは思わない。

なぜならば、便利になったことで獲得した時間や労力を何に使うかの問題であって、便利さそのものに問題がある訳ではないからだ。

「油汚れに〜ジョイ」のCMで、食器洗いに忙しそうな新山千春(だっけ?)が、洗剤ジョイの洗浄力アップによって楽になり、余った時間と労力をテニスなどの趣味に打ち込むことでまた忙しそうにしている、というものがある。テニスに打ち込むことをいい悪いと言っているのではないが、そういうことなのだ。何に打ち込んだとしても「便利な洗剤が悪い」わけではない。ましてや汚れ落ちの悪い洗剤に戻せば、人々が悪い方向から良い方向へと軌道修正する訳でもない。

その点に言及した意見にあまりお目にかかったことがないが、問題だと言う割に、解決に向けた突っ込んだ分析がなく愚痴や小言だけ並べてもしょうがないんじゃないだろうか。

繰り返すが、人が便利さを求めることが問題なのではない。便利さによって得た時間や労力を何に向けるかの問題なのだ。どこかに問題のすり替えと怠慢があり、権威的で恣意的な主義が隠れていると思えてならない。