電車がまともに動かないこともあり、本日時点で会社は休み。昨日はおいら含めごく少数がちょっとだけ出社して、どうしても片付けなければならない仕事をやってきました。幕張は液状化がどうの、という話でしたが、思ったよりひどくはなく、関係者の努力により解消の方向。

本日は完全休業で自宅待機です。うちは高齢の母親もいますし、むしろ安心。計画停電はうちでは今のところ実施していません。うちは2つのグループのどちらにも書いてあって、未だにどっちかわからないので、準備だけはしております。グループ内でもやるところとやらないところもあり、計画停電がはじまってからそれが判明するのはカンベン。せめて事前に教えてもらえれば準備もしやすいから。いっそカウントダウンやってくれないかと思うくらいですよ。

テレビは相変わらずニュースばかりですが、少しずつバラエティ番組もやってたりして、息抜きにはなります。再放送がほとんどですが、おそらくテレビ局もフル稼働できる状況にないんでしょう(計画停電や、社員の出社など)。こんなときスカパーはありがたい。

あと、企業もこんなときだから自粛してるのでしょうが、何度も見せられる公共広告機構のCMはもはやストレス。だったら流さないほうがまだいい。不安に駆られる人たちに、何がどのような影響を与えるかについては、もうちょっと慎重であってもらえればありがたい。

街角インタビューなどを見て、ちょっとだけ気になるのは、誰しも「被災地の方々のことを思えば、これくらい我慢しなければ」という言葉。それはまさにそうだし、我慢のしどころというのも確かにあるでしょう。でもそれが、どこにも逃がせないストレスになってしまうのもどうかな?と思うのです。「停電が不安」「水の出が悪い」「食料や生活用品が品薄」それらは被災地の人に比べれば小さいことだとしても、ゼロストレスではないわけです。

もちろんそのストレスを口にしてしまうのは、はばかられるのもわかります。そんなときは家族や親しい友だちと共有してはどうでしょうか。「ささえあう」というのは、ささえる側とささえられる側に二分するのではなく、ひとりひとりが「ささえる部分」と「ささえられる部分」を持って、おたがいささえたり甘えたりしていいのではないでしょうか。

一点言うと、マスコミは自身もこの難局に際して、協力の姿勢を示して欲しい。犯人探しやつるし上げだけでなく、「伝えるべき情報を伝える」にしても、「伝え方」を工夫して欲しい。