ニコチンパッチ、小学校で配布の話。

http://www.j-cast.com/2008/08/07024834.html

まあ、ニコチンパッチの話だけでは確かに違和感があるという意見もわからなくはないが、だからといって「~するべきだ」とか「~であるべきだ」みたいな「べきだ論」だけでは、実効力が無いのではありませんか。念仏だけで世の中が思い通りになるなら、坊さんは最強だよね。

アメリカで10代の妊娠が増加して問題になった頃、学校でコンドームを配布したら妊娠が激減したそうです。ところが「コンドームを配布すれば、10代のセックスを容認することになる。10代がセックスすることがあってはならないことなのだから、コンドームを配布すべきでない」と、多分に宗教がらみな教条的見地から配布をやめたら、また10代の妊娠が増加した、という話題をBSニュースで見たことがあります。

「こうあるべきだ」という信条はあってしかるべしだし、共感はするけども、それが実効力を発揮する環境とかインフラとかコンセンサスはあるのか、それなしに念仏だけ唱えてもしょうがない、というか無責任な気がします。「日本は何でもかんでもソフトウェアだけで解決したがる」と言った学者さんがいました。物理的な解決策を避けたがると。ハードとソフトのバランスが大事なのではないでしょうか。

タスポの話でも書きましたが、確かに大人がしっかりと責任を持って子供にルールを教えたり、その行動に注意を払うことは大事だと思います。でも24時間監視という意見は、むしろ教育の放棄じゃないですか。監視しなくても自分で自分をコントロールできる人間になってもらうことが、教育なりしつけなりではないかと思うのです。

親が子供を24時間監視することが可能だと思いますか? 自分が親なら可能ですか? 自分が子供なら容認できますか? >産経新聞客員編集委員・花岡信昭さん(「正論」とか「産経新聞」らしいご意見ですなあ)。