NHK-BSで放送中の「熱中時間 ~忙中”趣味”あり~」が好きでよく見てます。もう5年にもなるのか。ここに登場する人たちの趣味自体には共感するものがあったりなかったりするのですが、「何かに熱中する人たち」の熱い魂にはクるものがあるのです。また、藤岡弘、の熱中人訪問がいいんだな。藤岡さんは珍妙な趣味にも決して偏見の目で見ないで、その熱さ、求道的な姿勢をたたえるのです。こんな風に先入観無しで人を見ることができるだろうか、俺は。

ま、それはそれとして、そっちは本題じゃない。世の中にはいろいろな趣味嗜好があるし、それぞれ真剣なんだろうから、おいらが共感するしないは当然ながらなんも関係ない。それで良いに決まってます。ですがそれでも、たまにイラつくぐらい「自分とかけ離れた趣味」に出会うものです。受け入れがたいと言う言葉はあまり使わないようにしていますが、それでも受け入れがたいもの。

以下はあくまでおいら個人の趣味嗜好と合わない、というきわめて個人的な話だということを前提としておきます。

その昔、知人にいたのです。とあるテレビの2時間ドラマを「くだらない、くだらない」と語る人が。あまりにくどくそれを語るので、うんざりしながらも聞いていたのですが、そのうちに妙なことに気づいたのです。彼はストーリーを順を追っていかにくだらないかを説明し続け、とうとうエンディングまでけなし続けた、いや、けなしきった?のです。

さすがにおいらは聞きました。「そんなにくだらないなら、途中で見るのをやめようとしなかったの?」

彼の答えはこうです。「あまりにくだらないので、どれほどくだらないか最後まで見ようと思った」

わかるようなわからないような、いや、とてもおいらには受け入れがたかった。いかにくだらないかを語る趣味というものは。

たとえばラジー賞みたいに「ダメさ加減を笑い飛ばす楽しみ」ならまだわかります。ダメなものとかB級なものって、愛すべき魅力がありますよね。「くっだらねー」と笑う楽しみ。彼の論調はそうではなかった。あくまで「くだらない」とけなすばかりで、「くだらなさを評価する」観点もなかったのです。

同じように、検索で偶然見つけたあるサイトでも、ある作品、いや、あるジャンルのダメさ加減を延々語り続けるところがありまして、そこは「◎◎はすばらしい、それに比べて××は・・・」という比較が多いのです。だったら◎◎だけ楽しんでいれば良いんじゃないの?とおいらなどは思うのですが、わざわざ××のダメさ加減を語りたいがためなのか、やたら××に詳しい(苦笑)。なんだかにわかなファンよりも熱心に××を見てるんじゃないか、と思えるくらいに。こちらもまた、ダメさ加減を楽しんでいる風でもないのですよ。

そこで考えました。もしかしてそのサイトの管理人さんは、本当は××に期待しているのではないかと。だから熱心に見ているし厳しい意見も言う。見てもいないものをけなすのは言語道断なので、その意味では正しいことだと言えます。それはそれでイイコトだと思うけど、あまりに延々「それに比べて××は・・・」という展開が続くと、しつこすぎないか、あきらめが悪くないかとさえ思ってしまいます。

と、まあ他ならぬおいらも長いことそのサイトを定期的に追っかけてたということなんですが(悪い汗)、さすがにもううんざりしてきました。そこまでしつこく「それに比べて××は・・・」と言い続けるエネルギーはすごいと思った。これは一応、評価。

そういうおいらは何をやってるのかと問われれば、お互い様というところでしょうけど。