たとえばさかえさんは個人的には宮崎駿監督の作品をそんなに見ていない。好きでも嫌いでもなく、響いてくるものがない。素晴らしいフィルムであることはわかるのだけど、今風にいえば「刺さらない」んですよ。それは多分においら個人の趣味嗜好、資質の問題なのだけど。なのになぜか宮崎監督が「語る言葉」には共感してしまった。言葉とフィルムとで印象が全然違ったのである。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0811/27/news004.html

↑↑↑ 宮崎監督講演

逆に富野由悠季監督のフィルムに感ずるものがあるし、好きでもある。なのに富野監督個人の言葉は何言ってるかわかんない(笑)。言語としてはわかるけど語っていることが伝わらないのだ。いや、伝わるけど共感してるのかしていないのか判断付かないのかもしれない。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/08/news010.html

↑↑↑ 富野監督講演

このちがいは何なのだろう? 自分でもわからん。けどおいらはフィルムで語られることのほうが重要な気がした。映像作家なのだから。富野さんはしきりに自分は作家ではないといっているみたいだけど。

あと、宮崎監督に「女の子ばかり主人公にするのは何で」と訊いた記者ナイス。答えもなんか答えじゃない気もするが、おいらの記憶では’80年代当時のナウシカやクラリスは萌え系の走りだったはず。宮崎監督に萌えの資質がないとは考えにくいと思うのはおいらだけだろうか。

お二人に共通するのは、恐らくディズニーをあまり好きじゃないところでしょうか。おいらはディズニーを理解する(受け入れる、とは別に)ことがエンタテインメントを理解する第一歩だと思うけどね。ビジネス的な意味合いも含めてエンタテインメントに徹することがディズニーのすごさであり、たぶん手塚治虫も嫉妬した部分。金のかけ方も半端じゃない。「どうせだますなら壮大な大嘘ですてきにだまして欲しい」というお客さんの要求に、ど真ん中ストレートで答えるのはやはりすごいこと。王道のすごさ。ディズニーを子供だましというなら、子供だましすら中途半端にしかできないことのほうがプアだと思う。このあたりは「ディズニーランドのホスピタリティは子供も大人も関係なく感動を与えてビジネスとしても一流のエンタテインメントの基本」と定義づける、ラサール石井さんや中村勘三郎さんの意見に近いものをディズニーアニメにもおいらは感じるなり。

そして宮崎・富野両氏も恐らく知らないのが、テレビ版ディズニーのキャッチーさと、劇場版とのギャップ。メディアと予算の違いでしっかりと棲み分けを作るプロフェッショナル・ワークの巧みさ。宮崎・富野両氏にも共通する、日本の作品作りが良い意味でも悪い意味でもプロ・アマの境界線があいまいであることとは対照的だと思う。