ニュータウン現象という言葉はおいらが勝手に言っているもので、学会で使われているとかいうものではありません。正式な呼称はあるのかも知れませんが・・・

どういう事かというと。

◎◎ニュータウンというと、山を切り開いた大規模な敷地にでかい住宅地が造成され、マンションや一戸建てが建ち並び、そこに住む人たちのために巨大スーパーマーケット、ディスカウントストア、家電量販店、学校などなど・・・そこに住めば便利に何でも揃う住宅都市。千葉にもありますが、自然が豊かなのに都心への通勤も比較的容易で、いいところです。

が、このところ深刻な問題と化しているのが、高齢化問題。ニュータウンで住宅を購入するのは、主に働き盛りの世代、30~40代といったところでしょうが、彼らはローンが終わる30年なり35年なり、そこに住み続けるわけです。つまり住民はただただ高齢化していく。新しい人が入ってくれば若返るわけですが、そうなるには新しい住宅が建設されるか、今の住民がそこを去るかしかない。ニュータウンとはいえ際限なく拡張していくことも難しい(ニュータウン造成で地価が上がったりするし)。

住民の子供たちが成長してそこに住み続ければ世代交代が起こるわけですが、30年も時間が経過すれば個人も社会も価値観が代わり、その地に住み着くメリットが無くなったりもする。というわけでニュータウン世代の2代目がそこに定住する比率は少ないと聞きます。

東京・練馬の光が丘団地などが例としてあげられますが、立ち上げ時の住民がただただそのまま年齢を重ねていくだけで、住民の入れ替わりが無く、年齢構成比のグラフが年々右側へ移動するだけという図式は、「山が動く」とも称される現象なのです。

まあそれだけ住みやすいとも言えるのですが、一方で子供が少なくなり学校から消えていき、若者向けの商売は立ちゆかなくなり、都市の経済構造が高齢者向けにシフトしていくだけで、やがては寂れていく危機を抱えているのです。

さて、タイトルにあるアニメのニュータウン現象ですが、ピンと来た方も多いでしょう。

たとえば演歌や時代劇というと、高齢者が多く古くさいイメージを持つ方も少なくないのではないでしょうか。個人的には好きだし、氷川きよしさんのように若者に人気の歌手もいますし、時代劇もけっこう若者を意識した作りになってたりもします。しかしながらメインの顧客層はやはり高齢者だといって過言ではないでしょう。

とはいっても、これらは最初から高齢者向けだったわけではないのです。特に時代劇は1950年代あたりでは娯楽の中心であり、今でいうイケメンスターがたくさんいて、映画監督や脚本家も優れた人材が多かった。日本映画の黄金期と言われるころ、時代劇はまさに最先端にしてドル箱のジャンルだったのです。

演歌にしてもそう。歌謡曲のジャンルは時代とともに大きく変遷していってますが、演歌が最新のポップスだった時代も確かにあるのです。

何か新しいジャンルが登場すると、その当時もっとも敏感な感性を持つ若者たちが支持し、大きなムーブメントとなる・・・今も昔も変わらぬ図式ですが(商業主義の台頭、は別として)、そのジャンルに耽溺するコアな顧客層ほど、「宝箱」にしまい込んで鍵をかける心境はこれもまた時代を問わず。つまり「次の新しいもの」は受け入れられず、自分の好きなジャンルは不変であって欲しいと願う思い。おっと批判的な言い回しになりましたが、ここでは本題ではないのでその論旨は下げておきましょう。

つまり現在、演歌や時代劇のファンが高齢化しているのは、ニュータウン現象と同じく、それを愛した世代がそのままジャンルの歴史とともに歳を重ねていると言うことではないでしょうか。

ひるがえってアニメはどうでしょう? おいらは同じものを感じるのです。アニメブームと言われた、宇宙戦艦ヤマトから機動戦士ガンダムくらいまで、当時感性の鋭い10代だった世代は、今40代から50代にさしかかるところではないでしょうか。その後のアニメを替えたというエポックとしては、新世紀エヴァンゲリオンもしかり。とはいえエヴァ世代ももはや30代中盤にさしかかろうかというあたり。では、その後の世代に、アニメはどう訴求しているでしょうか?

今の20代アニメファンがどのあたりに興味を持っているか、もはやおじさんどころかじじいの仲間入りも近いおいらには正直知りません。その発言自体すでにじじいですか(笑)。けいおんとかハルヒとか、名前は知っていますが、特定のファン層が深く消費しているイメージしかないのです。つまり世代ごとに「宝箱」を大事に抱え込み、「宝箱」を充実させていくだけ。いやこれは20代のことを言っているのではありません。我々世代も含め、自分が熱狂した作品のみが顧客ごと世代ごとにパッケージ化され、「山が動く」。そんな印象があるのです。

アニメ業界が今どのように推移しているのかはわかりませんが、現状がそのまま時代とともにシフトしていくのなら、その先には先細りしか無いような気がしてなりません。鍵となるのは、次の世代にどのように訴求していくか。かといって今の10代や、未就学児童に訴求しているアニメって何があるのでしょう? プリキュアやイナズマイレブン? 今も人気のポケモン? でもそれらは商業展開とのからみ(タイアップ)の印象しか無く、おもちゃやゲームの印象はあっても、作品の記憶がどのくらいあるでしょうか。いや、これは1990年代くらいから、アニメが抱えていた課題だったはずですが、2010年の今、何の問題もないのでしょうか?

業界が「光が丘団地」となっていくのは避けられないのでしょうか。アニメ業界が特定のファン年代とともに高齢化してゆく。数十年後には、今の演歌のように、アニメのイメージというと、古くさい、年配の人が見るもの、と言う時代が来るのかも知れません。

特定の年代やファン層にだけ訴求していくことへの限界も懸念されます。

もはやゴールデンタイムのテレビアニメは数少なくなり、深夜帯、UHF系列、BS・CS放送展開、ライトノベル原作・・・これらは特定ファン層に向け、固定の客に繰り返したくさんお金を払ってもらうエコシステム。オンエアはDVDを買ってもらうためのショウケース。それはそれでいいのですが、その後がない。「そういう作品」向けのノウハウしか、作画や演出や脚本に受け継がれない。

なんかイマドキの作品への批判が混じってきた気もしますが、まあいいや。正直「萌え系」しか作れないアニメ業界になっちゃっても大丈夫なの? ということ。一方でジブリは「宮崎アニメと宮崎っぽいアニメ」しか作ってないし、トンガッタ系のオシャレでカッコイイ作品たるジャパニメーションも、スタイル先行でドラマ性が希薄になっていく心配があるんです。