ステレオサウンド170号(2009年3月12日発売)において、デジタルファイルミュージックについての考察を軸とした対談がありました。

デジタルファイルミュージックとは、MP3やiPodに代表される、ファイル化された音楽ソースのこと。主にネット配信されるもので、今はMP3などよりも高音質なモノもあります。

まあ、古株のオーディオファンからは「どうなの?」的な意見や否定的姿勢も見られるので、ある程度想像はされる対談ではあったのだけど、その想像を超えるものは一個もない記事でした。オーディオ専門誌としては物足りない。

菅野沖彦さんや柳沢功力さんのような重鎮さんをしても、懐疑的ではあるけれど決して全面否定はしない、という懐の広さはさすがステレオサウンドのライターさんだと感心しましたけどね。

予想したとおり、「新しいと言うだけでは決してイイモノとはいえない」とか、「スペックがオーディオの全てではない」とかの意見は出ました。また、古株のオーディオファンなら必ず出るだろうと思った意見、ジャケットを眺めながらディスクを取り出すとか、レコードをターンテーブルにのせるとかの儀式的なものへの傾倒がデジタルファイルへの拒否反応につながるというのはやっぱり出ますね。

アナログLPからCDへの移行期には、やはり同じように拒否反応が出た、けれども当時のCDは音質的には疑問があったけれど、アナログをしのぐ「何か」があったことも事実。デジタルファイルにはそれが(今のところ)見えない、ということだそうです。

さて、ここでおいらの意見。この対談はデジタルファイルミュージック自体がまだまだ黎明期にあることを示すかのように、「何を語ればいいのかまとまっていない」対談になってしまっている気がします。オーディオとしての質の部分と、趣味性の部分が切り分けされずにバラバラに語られているし、何よりデジタルファイルミュージックのメリットが何であるかの解説も不十分。なので、対談としてはアンフェアな感が否めない。古参オーディオファンが主たる読者層であるステレオサウンド読者に迎合してはいないでしょうか?と行っては言い過ぎかもしれないが、あえて今取り上げる話題にしては切り口が甘い。もちろん対談とは別にデジタルファイルミュージックの何たるかをこと細かに解説した記事は別にありますが、そこを対談の俎上に上げないのはどうなんだろう。

対談者の中からは、「CDをしのぐ何かが無ければ、ただ面白いだけのモノになってしまう」という意見も出ましたが、その「何か」を「オーディオ的な価値観や趣味性」の論点だけで語ってしまってはいけないのじゃないでしょうか。もちろんオーディオ専門誌なのだから、質と趣味性に重きをおいて語ることは当たり前ですが、ではなぜデジタルファイルミュージックが生まれ、ハイエンドオーディオメーカーでさえ専用機器を出すほどに普及しているのか。そこには理由があるはずだし、それがどこにあるのかを明らかにすべきでしょう。

たとえばそれはネット配信という流通形態であったり(家にいながらにして試聴もして購入できる)、在庫を持たなくて良いというコストのメリットとか。特に、CDはある程度の枚数が見込めなければ商品企画として成立しにくいという構造があるのに対し、デジタルファイルのネット配信ならば、あまり枚数が見込めそうもない企画でも、在庫コストのネックがない分、商品化しやすいというメリットが大きい。廃盤の再流通とか、世界中に10人くらいしかそれを望むものがいなくても、音源さえ残っていればデジタル化してサーバに置いておけばいいし、商品としては不人気な音源だって、地味に売れるのなら無駄にはならないでしょう。海賊版や不正コピーが闇で流津するよりもはるかに健全。個人的にも、Paul Hardcastleの1980年代の幻ユニット「First Light」とか、Goerge Jindaのアルバムとか、今では手に入らない音源が、ネット配信でなら手に入るかもと思うと、それはすごい魅力ですよ。

おいらなどは単純に、CDなら海外版は輸入しなきゃならないけど、ネット配信ならその必要もなく全世界を市場にできる、という点がありがたい。アメリカで売られていて日本では買えないけど欲しいCDがあるんですよ。Adrian Coningtonのアルバムとか。

そもそもCDだってオーディオ的な価値観から生まれてきたフォーマットではなく、単にディスクが小さくなるとか、頭出しが簡単だとか、取り回しの良さからできたフォーマットと言えるモノだったはず。でもそれが受け入れられて、アナログLP時代よりもディスク売り上げは飛躍的にのび、それまで数えるほどしかなかった売り上げ100万枚越えがポンポン出てきたことは事実。そのことで音楽業界が潤って、それが音楽やオーディオの世界に還元されたわけですから。つまりオーディオ的な質であるとか趣味性であるとかが音楽とオーディオを牽引してきたわけではなく、全く別の要素に引っ張られてそれらの質や趣味性を充実させる原動力になったという事実をまず踏まえておくべきですよ。それなのにステレオサウンド対談では、デジタルファイルミュージックをこれまでのアナログやCDの「成功体験」の延長上でしか語られていない。

CDやレコードが「古くさくて価値がない」と言っているのではないのですよ。それらは文化として残していかなければならないし、博物館にしまうのではなく現役のメディアとして生かし続けることは絶対に必要。だけれでも、それらにはないメリットをデジタルファイルミュージックに認め、互いにデメリットを補完しながら生かしていくことはできると思うのですよ。まあ、アナログがCDに駆逐されてしまった的な被害者意識が、オーディオファンの中にはあるのかもしれませんが、それはCDが悪い訳じゃない。だからデジタルファイルに懐疑的である理由を過去に求めちゃイケナイ。

デジタルファイルミュージックやネット配信のメリットがもたらすものが、彼らが求める質や趣味性の向上につながるかもしれないという観点で語られることがなかったのが非常に残念です。

それと、オーディオとしての質という点でも、デジタルファイルミュージックにはあるということが十分に語られていない。どちらかといえば肯定派であるだろう三浦孝仁さんが再三語りかけている「CDをリッピングするメリット」については誰も相手にしてくれてない。おいら自身が実感したところでは、ちょっとキズが入ってしまい、CDプレイヤーでは読み込めなかったCDが、PCでリッピングしたらちゃんとMP3に変換されて聴けた、ということがあります。CDプレイヤーがCDのピットを「1回読んで読めなかったらあきらめる」みたいなことを、PCでのリッピングなら「読み込めるまで何度もトライする」ことで変換できるということです。

よく言われることですが、「デジタルなんだからCDプレーヤーの違いによって音質が良いの悪いのと差が出るはずがない」ということ、実はCDプレイヤーは、読み取りエラーを回路で補正して音に変える、ということをやっていて、それが音質の差に出るのです。つまり読み取りエラーが少なくなる、精度の高いドライブユニットを使っていれば、補正が少ない分、音は良くなるという理屈です。デジタルファイルオーディオ用のリッピング機器には、「納得がいくまで何度もCDを読み込んで、エラーの少ない最高のデータをファイルに変換する」という機能を積むものがほとんどです。このことで、手持ちのCDの音質を最高に引き出すことができるという機能もまたデジタルファイルオーディオのメリットでもあるのです。

余談ですがステレオサウンド誌、おいらはちょっと不信感を持っていた時期があって、それはコピーコントロールCDが存在した頃。コピーコントロール機能を持つが故に音質が悪化するという事実があったにもかかわらず、オーディオのすばらしさを敷衍する立場にある同誌がその事を取り上げることは、ついに一度もなかった。何か政治的な意味合いでもあったのかと勘ぐるほど。なのでステレオサウンド誌は愛読書でありながらも、ちょっと距離を置いて内容を吟味するようにしているのです。