実際にさわったiPadは、予想通り「でかいiPod touch」であり、それゆえに価値があると個人的には思う。そしてなによりiPadのイイところは、あのツルンツルンでサックサクの動作の軽さ、「感触」なのだ。これで電子書籍を読むのは、さぞかし快適だと思える。

しかしながら話は変わるが、iPadを賞賛するのはいいのだが、そこからネットブックの悪口、バリ雑言をくっちゃべる輩はどうなのだろうか。当のアップルがそう言っているのもアレだが、おいらはアンフェアなことだと思う。

後から出た方が性能が良いのは当たり前じゃないだろうか、というシンプルな感想もそうだが、それを置いておいても、そもそもネットブックが世に出た経緯というモノを無視しすぎていないか。

その名が示すように、ネットブックは「ネットが使えればとりあえずイイや」的な軽い用途でPCを流用したものであり、メールとWEBが見られればOKというニーズの発見だったのだ。日本ではケータイがその用途を担ってきたわけだが、「もうちょっと画面が大きければいいのにな」という要望に応えたのがネットブックといえる。なんのことはない、iPhoneに対するiPadのようなものなのだ。

ネット用途に限定するのなら、最新PCの高性能、高機能はいらない。旧式PC程度のスペックで十分なので、安く作れる。ただしそこでWindowsを動かすのはしんどいので、初期のネットブックはネット用途に特化し軽量化したLinuxベースがほとんどだったのだ。

特に日本ではあまりコンシューマー用途にLinuxが一般的でなかったことや、この分野にも影響力を及ぼしたかったマイクロソフトの思惑もあって、Windows XPバージョンやStarterエディションなども登場したが、もともとは「枯れた技術と部品を流用し、それゆえに安価で、そこそこの限定的用途に特化したネット端末」だったのだ。

つまり、ネットブックとは、iPadのような専用の製品が現れるのを待つ間の「つなぎ」であったといえないだろうか。

世間的にも「こういうの待ってたのよ」的な受け止められ方で、実際にネットブックは売れに売れたのだから、それを今になってクズ呼ばわりは言い過ぎじゃないだろうか。もちろん、iPadこそが「こういうの待ってたのよ」の真打であることは認めるが、「このときはこれで良かった」というタイミングというものがあったのだ。

すでにある技術を応用して安く作るというやり方自体は別段おかしなものではない。iPadが世に出るまで今までの時間がかかったことは事実なのだから、それより先に存在したものが性能的にあるいはデザイン的にどうであれ、それをバカにするのはどうにも、知性を感じない行為だと思う。