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マライア最後のアルバムとなった「うたかたの日々」。タイトルはボリス・ヴィアンからの引用です。清水はボリス・ヴィアンに傾倒してたりするのか、「北京の秋」なる超名作ものこしていますが、それについてはまた別の機会に。

なんやかやで3枚目までのマライアは「ロック」というくくりに入れることが可能だったのですが、清水が「案山子」なるソロアルバムを出したことで、その方向性が大きく舵取りします。

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のちの清水のワールド・ミュージック路線を先取りしていたと、今では解釈できるこの作品、もはやロックではなく、ましてやジャズでもない、アジアや日本を感じさせる、その頃流行った言葉では「エスニック」と称されてしまうのであろう、土着的センスの音楽でした。今思えばマイルス・デイビスが「ビッチェズ・ブリュー」で自身のルーツであるアフリカ回帰、呪術的土着性を盛り込んだのと同じ事が清水に起こった、とも考えられなくもないなんてな。

なにせ案山子のラスト曲は「美しき天然」、大昔のチンドン屋で聴いたテーマ曲なのです。当時は「清水靖晃、おかしくなってね?」的な反応があったのも事実。その頃、清水はなんと北島三郎のアレンジも手がけており、しかもそれは清水側からの熱心なアプローチだったといわれています。

で、マライアの「うたかたの日々」。当時はLPですが、通常33回転のレコードを、45回転2枚組で出すというのも、意図がわかるようなわからないような(この言い回し使いすぎだな。レコードは回転が早いほど情報量が多くなるから、音が良いというのが定説)。肝心のサウンドも「案山子」の路線で、簡単に言えばアジア的。個人的にはリズムの反復が怖いくらい気持ちよくて好きなのだけど、さすがにトンガリ先進カルチャー大好きの若者も、コレを受け入れられたかどうか、当時ですら反響がよくわからないアルバムだった記憶があります。でも今聴くとイイと思うけどね。

アルバムの内容自体、作曲からアレンジ、プロデュースにいたるまで、クレジット上はほとんど(全て?)が清水靖晃名義になっており、笹路や土方のカラーは完全に払拭されて見えます。

このアルバムが結局、マライアの最後のアルバムになったということは、そのあたりの影響があったのではないかと勘ぐるおいらなのでした。

マライアは1983年に解散。しかし彼らの残した音楽的遺産は、日本のミュージックシーンに今もって色濃く残っていると確信します。

笹路と土方は初期マライアの路線を期待させるかのようなロックバンド「NAZCA」を結成しますが、そのサウンドは確かにかっこいいものの、マライアの毒っ気は微塵もなく、オイラ個人には物足りないものでした。しかし笹路は現在でもJ-POPシーンの重要な存在であり、スピッツやユニコーン、コブクロのプロデュースを手がけてヒットメーカーとなっています。土方も今でも第一線のギタリストとして活躍中。

「破壊からユートピアへ」とは、デビュー当時のマライアのキャッチフレーズ。文字通りジャズやロックといった垣根を乗り越え、ぶっこわし、真の意味でボーダーレスな音楽活動を繰り広げ、その手がけた音楽を、レコード屋はどの棚に収めればいいのか悩ませ続けた(笑)彼らの「音楽的破壊行為」は、現代のポップスにおけるジャンルレスな創作を寛容する意味で、ユートピアを築いたと言えるのではないでしょうか。

ああ、なんか「うまくまとめたつもり感」が漂っていて気色ワルイので、聞かなかったことにしてください。おならプー