ファミリー劇場でウルトラマンマックスが始まったけど、やっぱり面白い。メビウスにつながる昭和ウルトラ懐古イベント的な側面もあるんだけど、肩の力が抜けているところが良いんだな。

前作・ネクサスが意欲作というか野心的な作りだったんだけど、大人向けにしようとしてちょっとマニアよりになっちゃったためか、打ち切りの憂き目を見たために、十分な準備期間もなく始まったマックス、という図式が隠れているそうなんだけど、ある意味開き直ってる部分がうまく働いていると思う。飛び道具として「久々のセブンタイプ」のデザインもかっこいい。

こうしてみると、ティガ以降の新世代ウルトラシリーズは、大人の鑑賞にも堪えうる志も兼ね備えつつ、子供達にアピールするという命題をうまくこなしていると思うんだけど、ちょっと「メッセージ性の高さ」を意識しすぎている面もあるんですよね。かつてのウルトラマンやセブンがそうであったという思いが強いんだろうけど、おいら個人は決してマンやセブンが、メッセージ性を前面に出して作っていたとは思えないのです。つまり「ドラマ」としてまじめに作ろう、としたことが、意識的か無意識かはわからないけど時代の空気を取り込んでいたとか、作り手の思いや考えが入り込んじゃったと言うことであり、作り手は作家性を押し出していこうとはしていなかった、結果的にそうなっちゃったということではないでしょうか。

マックスもメッセージ性よりはエンタテイメント性、そして真摯なドラマ作りに傾倒した結果、できあがったフィルムにはメッセージ性がこもっていたという、ウルトラの原点の作りに寄っていったということであり、後続のメビウスがメッセージ性を持たせようとしすぎていたのと対照的な感じがします。メビウスはメビウスで面白かったんだけど、またちょっと肩に力が入りすぎたかな、作り手自身がウルトラ好きすぎて原理主義的になっちゃったかな、なんて気がしたりしなく無かったり(してるんじゃねえか)。