タイトルはメルセデスベンツのかつての広告より。メルセデスはやはりよくわかっている。

先日、ラジオ「中山秀征のビューティフルジャパン」で、自動車事故を減らすための取り組みについて取り上げていました。いまは車間距離が近づきすぎたり、運転者の居眠りを検知したときにブレーキをかける仕組みがあるそうです。ただ、これはクルマを止めるためというより、運転者に警告するためという意味合いであり、運転者からクルマのコントロールを取り上げるものではないんですよね。どんなときでも、最終的にクルマをコントロールするのは運転者自身でなければならない、というのは納得です。

某テレビタレントがちょくちょくテレビで言っていますが、クルマの安全装置など廃止してしまえばよいと。つまり安全装置があるから、事故が起きても大丈夫だと油断する気持ちが事故を起こすのだと。バンパーとかシートベルトとかエアバッグとか、そんなもの無くしてしまえば、皆事故を起こすまいと集中するから事故は起きなくなると。

これほど人間の能力を過信している人も感心しますな。いや、皮肉で言っているのですが。

集中力を発揮するには、緊張感が持続する状況では限界があるのです。ほんの一瞬、文字通り「魔が差した」一瞬で事故は起きます。これは精神力や心構えがどうのこうの言う問題ではないのです。自分で自分を完璧にコントロールできるという自信には何ら根拠がない。どんな状況でも絶対に緊張感を保って運転できるかと言えば、それを100%保証するのは不可能に等しい困難なことです。間違いなく。

そんな一瞬の「魔が差した」時、「万が一」の瞬間のために安全装置はあるのです。確かに、安全装置を過信して油断するのはダメだ、というのは正しい。ですが、その正反対に「安全装置無しの緊張感のもとで集中力を保つ」ことも現実的ではありません。適度にリラックスし、適度に緊張することで集中力を最大化する、人間の能力を最大限に発揮する状況を作ることが大事なのです。

かくいう先述のテレビタレントなどは、先日スピード違反で切符を切られたそうで、「普段は飛ばさないのについ魔が差した」瞬間に捕まったんだそうです。何のことはない、自分自身が油断を認めているわけです。