今日は平日ですがお休み。ターミネーター4観てきました。

いやあ、これはマーカス・ライトが主役だよね! ターミネーターって、ジョン・コナーにまつわる人たちのドラマなんだな。

T1やT2を思わせるニヤリシーンもいっぱい。もうネタバレしてるから書いても良いと思うけど、シュワちゃん顔のT-800が! 顔だけT1の映像を貼り付けてるそうだけど、まったく違和感なし。

しかしこの手の映画はなんとなく、ダイ・ハード4.0とかトランスフォーマーとか、どれも同じに見えてくるな。でも面白かったです。

以下はげしくネタバレ。これから観る人は見ない方がイイかも。

今は亡きサラ・コナーの言葉(テープに残したもの)を頼りにしているジョン。たくましき戦士になってもマザコン的な部分を残しているところがいい。サラとジョンは単に母子というより戦士の絆的なものがあるから変じゃないのだ。

審判の日近辺のお話はなし。ナレーションだけでスコーンと。すでにその後10年が経過してからが舞台です。一応T3があったからだろうけど(似たようなエピソードを描くのはつまらないからね)、公式にはT3は「正史」からはパラレルワールド扱いらしい。いっぽうテレビシリーズ「サラ・コナー・クロニクルズ(SCC)」はT2とT4をつなぐ正史の扱いらしいのだけど、つながらない点もあります。ジョンの父となるカイル・リースがT4でも重要なキャラクターなのですが、SCCでは彼の兄デレクが反乱軍の戦士として2007年に転送されています。審判の日の瞬間、デレクとカイルは野球をしていて、その後の核攻撃から二人して逃れています。また、デレクとジョンは反乱軍の同士で一緒に30歳の誕生日を祝ったといっています(SCC)。そのときカイルも反乱軍にいたはずなので、T4でデレクが登場せず、その存在に言及していないのは変。「T4時点で一旦離ればなれになり、反乱軍で再会した」ということにしときますか。

「脳と心臓だけ人間」であるサイボーグ、T4ではハイブリッド・ターミネーターと呼ばれているマーカス。T-800に代表される潜入目的ターミネーター、人間社会に紛れてミッションを遂行するターミネーターのテストのために利用されたのですが、なぜ2003年時点でスカイネットはマーカスに目を付けたのか。マーカスを改造したのはサイバーダイン社ですが、その目的は? スカイネットは今回の舞台である2018年時点で検体を探せば良かったのでは? その後タイムスリップを経てマーカスは2018年に送られたらしいのですが、そうした理由がわからない。マーカスが選ばれたのは心臓を始め肉体的に強靱だったかららしいのですが・・・

ちなみにSCC時点でも、1999年や2007年に潜入ターミネーター(T-888)が人間社会に紛れ込んでいる様は描かれています。現代にいるターミネーターはシュワちゃんだけではないもよう。

スカイネットに潜入したマーカスに全てを打ち明けるコンピューター。マーカスは徹頭徹尾、スカイネット側に付くことを拒否しカイルを救いに行くのだけど、ここでもうちょっとヒネリが欲しかった。たとえばスカイネットは人類根絶やしのために「特定の電波に弱い」というニセ情報で反乱軍をだまし討ちにするのだけど、「マーカスがスカイネットに味方すると見せかけて」という逆だましみたいなのがあっても良かった。とはいえ2時間枠であまり複雑なプロットにしたくなかったんだろうな。マーカスは今回、T2でのシュワちゃんのような「カイルを守るヒーロー」的な扱いだったのだろうと思う。T-850と違い、「最後まで人間だった」という描き方もT2との差別化としてグッド。

ラストで心臓を負傷し瀕死のジョンを救うため自らの心臓を差し出すマーカス。ジョンは反乱軍の希望だから死なせられないことは確かなのですが、いくらマーカスがハイブリッドとはいえ犠牲にする事にとまどいがない人間達はちょっと変だな。多少の葛藤は欲しい。マーカスが無事だったからそう見えるのかもしれない。たとえばマーカスの方は脳に損傷を受けて、もう助からないから心臓をジョンに、ということなら納得はいったかもしれません。

マーカスを信頼できないジョンの描写は当然で、このあたり脚本がうまい。マーカスはといえばジョンに義理はないけど、一旦は交流のあったカイルやスターちゃん(失語症の少女)を救いたいからジョンに手を組め、という流れに無理がない。そうやって互いに実績を積んで信頼感や友情が生まれていくさまはすばらしいね。ジョンも幼い頃にターミネーターに救われている経験(T2)があるわけだから、マーカスに賭けてみる気になったのかもしれない。

スカイネット側のメカ、総じて「人間が使うことを想定した」デザインが残っているところが面白いと言えば面白い。潜入型じゃないターミネーターが人型をしていたり、スイッチ類やモニターや英語の画面表示など、マンマシン・インターフェースがある必要はないのだけど、「結局、スカイネットも人が作ったものだから、人間ありきの部分が捨て去れず残ってしまうところに限界がある」と考えると興味深いです。