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KANというミュージシャンの名を聞くと、たいていの人は「愛は勝つ」の一発屋と思うかもしれない。だが、実際にはどっこい今でも活躍しているし、一発屋の一言で片づけてはいけない、質の高いミュージシャンなのだとおいらは思う。

あまり多作ではないし、本人自ら「ミュージシャンはアルバム製作を3年周期にすべし」などと公言しているへそ曲がりなので、その楽曲を耳にする機会は少ないかもしれない。だが最近は新曲「よければ一緒に」をあちこちで聞くので、久々のヒットなのだろうか。

KANはミュージシャンからの支持も高いと聞く。実際、彼の作詞作曲は実にグレードが高い。ちょっと聴きには、ふざけてるのかまじめなのかわからないユニークな詞や、パクリぎりぎりのインスパイヤもしくはトリビュートの曲調も多い。だがその実、よーく聴き込むと、昨今のミュージックシーンが失ってしまった「メロディの妙」があるのだ。今風に言う「美メロ」なる言葉では語りきれない、奥深く音楽性の高いメロディなのだ。

なので、実際歌うとなると、かなり難しいと思う。これをひょうひょうと歌うKANのヴォーカルは、だから一聴して「うまい」とか感じさせないが、その実はかなりうまい。

難しい曲を簡単そうに歌うという意味ではドリカムの吉田美和が筆頭だが、KANの場合、難しい曲を肩すかし気味に歌うのだ。これはできそうでなかなかできない。

ここでいう「歌のうまさ」とは、「表現したい内容をすんなりと聞き手の心に響かせる」ということを意味する。たとえ音程が正確で、声量もあり、ビブラートも上手にかけることができても、聴いていてなーんにも感じるところがない歌手は、おいらはうまいと思わない。まあ、誰のことなのか実名をあげるのは杏里のファンに悪いので書かないけど。

もとい。KANの書く曲は、あくまでも楽曲のクオリティ優先で書かれていると思う。歌いやすさを優先していない。また、ドリカムの曲が吉田美和のパフォーマンスを最大化する意図で書かれているのとも異なる。あくまで音楽として聴いて質が高いか、なのだ。

なので楽器で演奏すると、そのメロディが実に美しいことがわかるのではないだろうか。しかも、そこにひょうひょうとしたユーモラスな歌詞が乗るので、本当に楽しいのだ。音楽の楽は楽しいの文字ということがひしひしとわかる。

新譜「カンチガイもハナハダしい私の人生」(このタイトルからしてKANのスタンスがわかろうというもの)を是非、聴いてもらいたい。おっさんのグチになるが、今どきの音楽シーンが失った「プロの音楽性」が味わえること間違いない。ただしこのアルバム、1曲目はPerfumeのパロディ、2曲目は(本人がやりたいと思ったことなど一度もないはずの)ジャズ風なので、この2曲ではKANの真価はわからない。かならずアルバム全曲を通して聴いてもらいたい。

余談だが、KANはいつもスーツをきちっと着こなし、ネクタイをしめて人前に出る。このスタイルって、誰かに似ていると思ったら、三谷幸喜だ!と気づいた。ちょっとユーモラスで、表層ではつねに笑いをとろうと仕掛けつつ、その奥底に人間の人間くさい部分をするどく突くところなど、作風も似ている。おいらの中では、KANと三谷幸喜とルネ・マグリットは共通するモノがある。