消防庁であり自衛隊であり、一部の東京電力職員であり、諸々の原発事故現場で、放射線にさらされながら修復に従事している人々には、心から敬意を表し、その無事を祈らずにはいられない。

いっぽうでおいらは軽々しく「命をかける」などと口にする人間をいぶかしく思う。おいらが社会人一年生のとき、研修でセールストーク術を教えていた講師が、「私は『話す』ということに命をかけている。諸君らは軽い気持ちで聞いてはいけない」などと、いかにも俺が俺がの自慢親父系講義でうんざりしたことがあった。まあおいらも若かったからトンがってた部分もあるしね。でも、「話に命をかけているのなら、聞いてもらえなかった時点で舌を噛み切るのか?」なんて屁理屈も言いたくなる。実際、海外では「話を聞いてもらえないのは、話す側に問題がある」という考え方の方が主流で、話を聞いてないからと怒るのは日本ぐらいなのだそうだ。

本題を外れたが、命をかけるという言葉を、本当に命を落としかねない決死の現場でない限り、おいらは聞きたくない。社会人一年生のときは、当時、父親が末期ガンと戦っていたから、なおさらだった。

本当に命をかけている人たちを、目に焼き付け、バックアップできることをしたい。ニセモノに関わっているヒマはない。