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講談社青い鳥文庫のもはや古典、児童向け推理小説の「パスワード・シリーズ」が、時代に即したリブート復活!(上が新刊、下がオリジナル初回版)

実はこのシリーズ、初版で読んでいるくらい好きなのです。架空の都市、風浜市(横浜がモデル)を舞台にした小学生探偵たちの大活躍。彼らはチャットで議論しながら推理で難問を解くという「安楽椅子探偵」ものの一種なのですが、第1弾が1995年刊行ということで、さすがにITの進化には取り残された内容のため、現代事情に合わせてリニューアルしたというわけです。なにせ初回版では、ワープロ専用機にアナログモデムだったのですから。

ただ、今時はWebカメラで互いの顔を見ながらチャットできるので、違和感はあるのですが、本作の登場人物はオフで会うまで互いの顔を知らないことがミソなので、そこはさすがにしかたがないか。

ながらく人気シリーズなので、ドラマ化やアニメ化が期待されたり、じっさいウワサもなくはなかったのですが、やはり現代のIT事情とのギャップがネックになっていたと考えられます。その意味ではこのリライトで、また映像化の期待も高まるのかも知れません。なんて。

昔から児童文学が好きなのですが、それは児童向けノベルの執筆がほんとうに難しいことと無縁ではありません。よく言われる言葉に、「面白いものに大人向けも子供向けもない」「大人も楽しめるものでなければ子供が楽しめるはずがない」というものがあります。言ってることは間違いじゃないのだけど、それが「子供向け」にフォーカスすることの難しさを避ける免罪符になってしまっている作品がすくなくない。児童向けのほとんどがライトノベルと区別がつかなくなっている実感があります。

たとえば同じ青い鳥文庫では、はやみねかおるの夢水清志郎シリーズがありますが、はっきりいってミステリーとしてのできはパスワードよりも上。けれども、児童向けとしてはパスワードの方が優れていると思います。夢水清志郎シリーズのほうがちょっとだけ血なまぐさい。パスワードシリーズも長く続くうちに、じゃっかん血のにおいが漂うようになっていたのですが(そこが昨今のシリーズの残念な点)、児童向けは「大人になっていない読者に、大人とはいかなるものかをチラ見せ」するものだとおいらは思うのね。けっして大人への道しるべを示すものではない。そんなものは実生活でいやでも示される。かといって現実逃避の内向きベクトルを提示するものでもない(それはむしろライトノベル的な気がする)。あくまで子供たちに、子供時代にしか持ち得ない感性をアンテナとして、上から目線ではなくメッセージを送ることだと思うのです。

いや、血なまぐさいことでも臆せず子供たちに提示すべきだという考え方もあると思うのですよ。ただ、刺激的な見せ方で、子供たちの感性に訴えるべきポイントがかすんでしまうのがもったいない。ジブリあたりは気にせず生々しい表現も使いますが、あそこは子供向けだけに作っている自覚もないでしょうから、一緒にしてはいかんのかな。

象徴的なシーンとして、パスワードシリーズでは、喫茶店のマスターである大人キャラ(30代女性)が、主人公(小学5年生男子)に出すのが、ミルクティーなんです。決してコーヒーじゃない。おいらはこのシーンに児童向け文学のあり方が集約されているとさえ思う。

もうひとつ、子供がするのは空想、大人は妄想。この違いこそが児童向けかそうでないかのボーダーラインなのでしょ。