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マライアと聞くとキャリー、というのが20年来世間一般の大方の意見でしょう。しかしさかえさんは80年代日本に生まれた狂気と歓喜のアーティスティック・ミュージックムーヴメントを思い出すのです。

1980年、突如として発売された1枚のアルバム「YENトリックス」。「MARIAH」という名のバンドが放つそれは、色んな意味で聴衆の期待を裏切るものでした。清水靖晃(サックス)、笹路正徳(キーボード)、土方隆行(ギター)、渡辺モリオ(ベース)、村川ジミー聡(ボーカル)からなるそのバンドは、山木秀夫(ドラムス)のサポート(後に正式加入)を得てデビューを果たしました。

清水は当時「和製マイケル・ブレッカー」とよばれた若手新進気鋭サキソフォン奏者。当時流行のジャズ・フュージョン界ではファーストコールともいえる人気奏者であり、自身もソロアルバムを発表し飛ぶ鳥を落とす勢いでした。その清水のセカンド・アルバムタイトルが「MARIAH」。単なる能天気フュージョンとは一線をかくす、荘厳さと深遠さを讃えつつ力強さに満ちたジャズ・フュージョンの異色作でした。

その清水が満を持してMARIAHの名を冠したバンドを結成したのです。メンバーは同じくジャズ界の若手ながら鬼才キーボーディストだった笹路に、スティーブ・ルカサーやジェイ・グレイドンの系譜を受け継ぐ土方、小林泉美のバンドで歌心あるベースを奏でていた渡辺とくれば、こりゃあすごいジャズ・フュージョンであろうとみな予想したわけですよ。山木もまたジャズ界では中堅どころのドラマーでしたし。ん?でもボーカルの村川ジミー?このアルバムには歌が入るの?なんてな疑問符もありーので。

そして発売された1stアルバム。いざふたを開けてみたらオドロイタ。1曲目のイントロから荘厳なストリングスが立ち上がる!ジャズ的な音を予想していたリスナーは目がまんまるになったとかならなくもなかったとか。そしてレジスターのジャキーン!というノイズと共に、ハードにドライブする土方のロック・ギターが炸裂!

おいおいおい、マライアはロックバンドだったのか!と

このたび、そのマライアの1stアルバム「YENトリックス」と、2nd「アウシュビッツ・ドリーム」がCDにて再発。30年をときを経てよみがえるマライア・プロジェクトの先進性、実験性、そしてポップスとロックの地平を明らかに広げたであろう日本のミュージックシーンの「事件」を、さかえさんは追体験したといいます。

YENトリックスは1曲目からプログレ風味のハードロックから始まり、スケールの大きいバラードや、ミディアムテンポながら毒気のすごいロックサウンドで、メンバーの顔ぶれからジャズ的なものを期待したリスナーを大きく裏切り、あるいは失望させ、一方でありきたりなミュージックシーンに退屈を感じていた新しもの好きたちを驚喜させたのでした。

そんなこんなで当時はマライアを「和製TOTO」という人もいました。ジャズ・フュージョン界のスタジオミュージシャン中心で結成された出自が似ているということなのかも知れませんが、何でも「和製」を付けるところに欧米コンプレックスが見え隠れします。人によっては「いやクイーンの正当後継者が日本にあらわれたのだ!」「いや、ジャーニーのライバルじゃね?」とか聞こえましたよ当時

清水はすでに「和製マイケル・ブレッカー」のレッテルなど置き去りに、実験的なサウンドでマライアを牽引し、いずれ書きますがその後もリスナーの期待などどこ吹く風で、一つ所にとどまらない変わり身で、音楽界に旋風を巻き起こします。笹路はジャズ界の新星キーボーディストと期待されていましたが、自身もギターを弾き、ユーライヤ・ヒープが好きと公言し、当時流行のショルダー・キーボードでギタリストとソロバトルを繰り広げます。そのギタリスト、土方も含め、マライアのメンバーは自身でソロアルバムを発表し、プロデューサーとしても活躍します。ボーカルの村川ジミーは作詞もこなすし、1人でもプロデューサーができる創造性の高いミュージシャンがあつまったマライアというバンドは、さながらアヴェンジャーズでしょうか。と、さかえさんは今思ったとか。

マライアのメンバーは、ソロアルバムのバックにもマライアのメンバーをそろえ、また「マライア一派」とも言えるミュージシャンもマライアのバックアップで次々とアルバムを発表します。個人的には村田有美(ボーカル)のアルバム群は好きだし、マライア・プロジェクトでときどきサポートしていた北島健二(ギター)、西村麻聡(ベース、ボーカル)、山田わたる(ドラムス)はのちのFENCE OF DEFENCEとなり、あの織田哲郎もちょいちょい顔をだしていました。このあたりは一世を風靡した長戸大幸のビーイングとも関連が深く、織田も含めてZARD、DEEN、大黒摩季もマライアがなければ無かったと、さかえさんは個人的には思うのね。あるいはマライアがロックやポップスの可能性を広げたことが、のちのマイ・リトル・ラバーやMr.チルドレンのような創造性の高いポップス/ロックのいしずえになったとさえ。言い過ぎでしょうか?