べきだべきだで世の中変わる?
総合 8月 13th, 2008 at 22:03:51ニコチンパッチ、小学校で配布の話。
http://www.j-cast.com/2008/08/07024834.html
まあ、ニコチンパッチの話だけでは確かに違和感があるという意見もわからなくはないが、だからといって「~するべきだ」とか「~であるべきだ」みたいな「べきだ論」だけでは、実効力が無いのではありませんか。念仏だけで世の中が思い通りになるなら、坊さんは最強だよね。
アメリカで10代の妊娠が増加して問題になった頃、学校でコンドームを配布したら妊娠が激減したそうです。ところが「コンドームを配布すれば、10代のセックスを容認することになる。10代がセックスすることがあってはならないことなのだから、コンドームを配布すべきでない」と、多分に宗教がらみな教条的見地から配布をやめたら、また10代の妊娠が増加した、という話題をBSニュースで見たことがあります。
「こうあるべきだ」という信条はあってしかるべしだし、共感はするけども、それが実効力を発揮する環境とかインフラとかコンセンサスはあるのか、それなしに念仏だけ唱えてもしょうがない、というか無責任な気がします。「日本は何でもかんでもソフトウェアだけで解決したがる」と言った学者さんがいました。物理的な解決策を避けたがると。ハードとソフトのバランスが大事なのではないでしょうか。
タスポの話でも書きましたが、確かに大人がしっかりと責任を持って子供にルールを教えたり、その行動に注意を払うことは大事だと思います。でも24時間監視という意見は、むしろ教育の放棄じゃないですか。監視しなくても自分で自分をコントロールできる人間になってもらうことが、教育なりしつけなりではないかと思うのです。
親が子供を24時間監視することが可能だと思いますか? 自分が親なら可能ですか? 自分が子供なら容認できますか? >産経新聞客員編集委員・花岡信昭さん(「正論」とか「産経新聞」らしいご意見ですなあ)。
8月 15th, 2008 at 4:51:16
それは恐らく、コンドームを配る配らないではなくて、
子供たちに性教育をしたか、しないかの違いだと思います。
ゴムを配るのだって、別に「使ってくれ」ということではなくて、
実物はこういうものなんだよ、という知識を子供たちに与えたに過ぎないのにねえ。
ニコチンパッチの件もしかり。
子供たちに必要なのは、タバコを取り上げることではなくて、
タバコを吸い続けると、どういう健康被害が出るかを教える事です。
8月 15th, 2008 at 21:00:52
自分の書き込みが、よく読むと内容がぶれまくりなので、がっかりしています。こんにちは、かずいさかえです。
まあ、ようはニコチンパッチを配ることがしつけの崩壊を認めることになるからダメ、というのは本論からずれてないかと思えましてね。手段と目的がすり替わっていないか。重要なのは子供を健康被害から守ることであって、親のしつけを崩壊させないことが目的じゃないでしょう。
コンドーム配布の話は、背に腹は代えられずの策という文脈でした。高校ですから性教育と言うには遅すぎる時期ですし。なんか似たような話があったな、と思いだしたのは「赤ちゃんポスト」。育児放棄をしないのが一番良いに決まってますけど、子供の命がかかっているとハイリスクな選択はできない、文字通り「背に腹は」で。
理想と現実はかくも乖離があるというか。命が関わると特に。これだという正解はないにしても、常に議論しつづけることが大事だと思います。