レイの青春事件簿シリーズ、4冊目まで読了。

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正確に言うと、「レイの青春事件簿」シリーズは、現在3巻まで刊行、「銀河寮ミステリー合宿」は番外編で、かつて刊行予定で、なかなか日の目を見られなかったミステリークイズ本を、「レイの~」のシリーズに仕立て直したものらしい。

だが、この「銀河寮~」では、テレビの2時間ミステリードラマの撮影現場に出くわして、などのエピソードが仕立ててあり、2時間ミステリーのダメっぷりや、スタッフのレベルの低さ(例外がいて、ミステリー作家志望もいるのだが)、あげくは「崖の帝王」なる俳優の傍若無人ぶりなど、誰かさんを連想させるネーミングの人物がやたらヒドイ性格に書かれたり、ちょっとなあ・・・とさかえさんは眉をしかめたということです。

面白いのは面白いんですけどね。

パスワードシリーズ、レイの青春事件簿シリーズは、古今東西の名作ミステリーに対する造詣の深さ、リスペクトがちりばめられていて、それも魅力の一つではあるのだが、では肝心の本編はそうなのか、というと、正直「本格ミステリー」とは言いがたい。というか、パスワードシリーズの魅力とは「本格ミステリー」であることとは別次元なので、それでいいのだ。もっと気楽に楽しめる、パズルブックやゲームの楽しみ方なのだから。

では、「本格ミステリー」とは何か。

つい最近、よそさまのBBSでも書いたことなのだが、
「作中の探偵と同じ手順で、読者自身が真犯人にたどりつく」
「それ以外の回答はあり得ない」
それが本格ミステリーの定義である。

つまり、真犯人にたどりつくデータは全て作中で開示されていること。そして、同じデータを使って「別の回答」が成立することがあってはならない。

さかえさんも一時期「本格ミステリー」にはまっていた時期があった。鮎川哲也、ディクスン・カー、などなど。また、講談社青い鳥文庫では、はやみねかおるの「夢水清志郎シリーズ」が「本格ミステリー」といえる。

本格ミステリーは、刑事コロンボ型の倒叙法(犯人はすでにわかっていて、探偵がトリックを推理でなぞる手法)であっても例外ではない。視聴者がコロンボと同じプロセスで、同じエンディングにたどりつければよいのだ。ただし、コロンボはよく「犯人をひっかけて新たなデータを引き出す」手法も使うので、すべてのエピソードが本格ミステリーとはいいがたい部分もある。コロンボはテレビドラマなので、いかに犯人を追い詰めるか、そのとき犯人の心理はどう揺れ動くかを、ドラマとして描くことが主であるからだ。

なので、テレビの2時間ミステリードラマを「本格ミステリーとはほど遠い」と切って捨てることは、そもそも作り手の目的が違うのだから、ちょっと野暮だと思う。「それはそういうもの」と割り切ればよい。

ミステリーファンとSFファンは似たところがあり、「それが本格ミステリーなのか」「それはサイエンスフィクションなのか」ということにこだわる。ファンだからそれでいいし、そうあるべきだと思う。だが、いっぽうでそういった「こだわり」(本来はネガティブな意味の言葉である)を受け入れがたい人たちもいるのだ。

たとえば芥川賞や直木賞は、SFでは受賞できないといわれる。文芸の世界では拒否反応が強いためで、さすがにそれはおいらもどうかと思う。だが、拒否反応を示す文壇の言い分も一理無いではない。「SFは、サイエンスフィクションにこだわるが故に、最も描くべき人間ドラマが希薄になる」と言う意見が支配的らしいのだ。

これは個人的にはいいがかりで、SF作品にもドラマをしっかり描きこんだ作品はいくらもある。だが「サイエンスフィクションにこだわる」姿勢から、そういう誤解は生まれたのだろう。

ミステリーにおいても同じことが言える様な気がする。「本格ミステリー」であることにこだわること、読者もその一点にこだわることに、人間ドラマがそっちのけにされているような印象が持たれているかもしれない。

だが、ミステリーの分野では比較的、人間ドラマの名作の存在が支持されているのだろう 、いまや文壇はミステリーばやりだ。ほとんどのミステリーが「本格」とはいいがたいが、「本格」を求める読者より、「ドラマ」を求める読者の方が圧倒的に多いのだろう。パスワードシリーズでも、レベルの低い、トンデモ推理のミステリーを「バカミス」と呼ぶが、マニアックに陥りがちな、つまり読者を選ぶ「本格」よりは、ケレン味たっぷりの「バカミス」の方が支持されやすいのは仕方がないことではないだろうか。

ふりかえって2時間ドラマである。テレビというものはそもそも視聴者を選ぶメディアではない。深夜時間枠では多少は選ぶかも知れないが、ゴールデンと言われる時間帯では、ありえないことだ。

2時間ミステリーで求められるのは、視聴者に「わたしだけがいち早く真犯人に気づいたに違いない」と優越感を持たせる程度の、視聴者を絶妙に引きつける難易度が必要なのだ。トリックが難しすぎてもさじを投げられるし、簡単すぎてもそっぽを向かれる。2時間ミステリーで感心するのは、その塩梅のみごとさだ。

その上で、なんだかんだいっても「ドラマ」を視聴者を求める。ま、正直、さかえさんも2時間ミステリー程度の「浅い」ドラマにはヘキエキなのだが、このくらいがテレビ的な気軽さなのでは無かろうか。お父さんは風呂上がりにビール飲みながら、お母さんは家事が一段落して一息つきながら見る、そういう番組なのだろうから。ミステリーが趣味でもなければ、誰が一日の終わりにまた頭を使う本格ミステリー見たいんですか、っちゅうこってすよ。

なので、テレビの2時間ミステリーは、これはこれでアリ、なのである。さかえさんはまず見ませんが。