カメラ用のバッグで「オプティマス・ミニマス」というモノを見て、アトミック・ベティを思い出してしまったのでした。ユルくてヌルいけど、カートゥーンらしくて好きだったんですけどねえ。第2シーズン以降は見られないのかなあ。

こういうSFテイストのアニメやドラマって、日本ではなかなか根付かないというか受け入れられないというか。海外ではSFドラマ人気って根強いですな。スター・ウォーズとスター・トレックを双璧として、現在まで連綿と続くSFもの、結構ありますよね。それこそ日本ではCSでしか見られないけど。

まあ、日本ではアクタガワだかナオキだかの文学賞のある審査委員が、「俺の目の黒いうちはSFなるモノに賞はやらん」と言ったとかの噂を聞いたことがありますけどね。だもんで宮部みゆきも夢枕獏も賞取りはSF以外で挑むしかなかったと。

そういうきな臭い政治的背景はこちとらウンザリの種でしかないのだけれど、まあ、言わんとすることがわからないわけではないのですよ。たとえばテレビ業界でも、特撮やアニメをのぞいてSFものは作りたがらない。同じく本格推理モノも作りたがらないという傾向があります。

それは、「科学考証なり本格トリックにこだわりすぎて、肝心のドラマがそっちのけになる」ということが理由のようです。テレビはとかく老若男女、あらゆる人間が見たがる大衆芸能でなければならない。SFや本格推理モノは、ドラマ性不在でギミックにばかり凝りすぎ、マニアしか振り向かないと。

たとえば本格推理モノ好きのファンには、テレビの2時間ミステリーなど語るにも値しないとお考えでしょうが、テレビのミステリーはトリックが簡単すぎても難しすぎても見向きもされないのですよ。できれば視聴者が「俺だけがいち早く真犯人を見抜いた」と思いこませるくらいの、そこそこひねって、かつ難し過ぎないレベルのトリックじゃないとダメなのです。

また本格推理モノがどうしてもトリックに傾倒するあまり、犯罪を犯す人間の心理や葛藤をおろそかにしがちだと、えらいさんは思っているわけです。SFにしてもそれは同様、科学的考証にばかりうつつを抜かして、ドラマ不在になることを嫌う、だからテレビ業界でも文学界でもSFは過小評価されるのです。できのいいSFは、ちゃんとドラマとしても一流なのですが、食わず嫌いも手伝って先入観があるようなのです。

しかし、彼らの言い分も看過できない傾向は確かにあるように思います。SFやミステリーの「凝り性」が度を超して、マニアしか見向きもしないジャンルに閉じこもってしまうことを、彼らは経験と嗅覚から察しているのでしょう。

そういえばSFとミステリー、両方の分野で名をなしたアイザック・アシモフという作家もいるよなあ。「黒後家蜘蛛の会」シリーズは大好きです。ミステリーといえば、ディクスン・カーとか鮎川哲也とか読みあさった時期があったおいらです。